2026.07.20
就職で買っているのは、中を見る権利
キャリア
世界は消費側と生産側に分かれていて、あいだには壁がある。買う側からは値段とパッケージは見えるが、それがどう作られ、誰が何を決め、お金がどこへ流れているかは見えない。会社の中のことは、入った人にしか分からない。そして就職は、この壁を越える、ほぼ唯一の一般開放された門だ。
つまり就職は「労働を売る場面」に見えて、実は逆向きの取引を同時に含んでいる。労働を入場料として払い、作る側の世界への入場券を買っている。求人票に中身が書いていないのは意地悪ではなく、外からは書きようがないからだ。
この読み替えには、実用的な帰結がある。選考は「買われる場」ではない。あなたも買っている。だから買い手の目を持っていい——この席は、中の何を見せてくれるのか、と。
そして、この買い物で唯一残るものは、給料でも役職でもなく、頭の中に沈む理解だ。給料は生活を回すのに必要だが、使えば消える。理解だけが持ち出せる。ただし学びには飽和がある。見て学べることは最初の1〜2年で急に増え、あとは同じ景色の繰り返しになる。
飽和のサインも、行動に出る。この1ヶ月で、初めてやった作業が何回あったか。ほとんど無いなら、それは成長が止まったのではなく、その席から取れるものを取り切った——学校なら卒業と呼ばれる状態だ。後輩に即答できることが増えるほど、学びは終わりに近い。

就職は、買い物だ。中身を見て買えばいい。そして値段と期限は、自分で決めていい。