発展は副産物である
欲しがることには、うっすら後ろめたさがついてまわる。無駄遣い、贅沢、身の丈に合わない。節約は美徳ということになっている。
味の素と、ゲームの話をする。
一 昆布のだしから、半導体の部品まで
一九〇八年、池田菊苗という化学者が、昆布のだしから一つの物質を取り出した。グルタミン酸である。甘い・酸っぱい・塩辛い・苦い、のどれでもない味がそこにあると考えて、それを「うま味」と名づけた。翌年、味の素として売り出される。
動機は素朴だ。うまいものを、安く、たくさん食べたい。第五の味覚の発見という言い方をされるが、売れた理由はそこではない。安い材料がうまくなるからである。
そこから百年経つ。
いまパソコンやサーバーの中にある半導体は、細い配線が何層にも積み重なった構造をしている。層と層のあいだには、電気を通さない膜を挟まなければならない。この膜に使われている材料のひとつが、味の素ビルドアップフィルムという。作っているのは味の素である。アミノ酸を大量に安く作るために積み上げた有機化学が、そのまま樹脂の技術になり、計算機の部品になった。
二 遊びたい
一九九三年に創業したエヌビディアという会社が、一九九九年に GeForce 256 という部品を出した。画面に立体を描くための装置で、これを世界で初めて GPU と名乗って売った。同じ計算を大量に並べてやるのが得意で、目的は一つ、ゲームである。
売れた。ゲームのために売れたので量が出て、値段が下がり、性能が上がった。世代を重ねるたびに速くなった。
二〇〇六年、エヌビディアは CUDA という仕組みを公開する。GPU を、絵を描く以外の計算にも使えるようにするものだった。研究者が使い始める。
二〇一二年、画像を見分ける精度を競う大会で、GeForce を二枚使って学習させた仕組みが、他を大きく引き離して優勝した。そこから深層学習が一気に現在まで来た。いま動いている人工知能は、ほとんどがこの系譜の上にある。
三 狙った人はいない
二つとも、同じ順番で起きている。
先に、誰かが何かを欲しがった。その欲に金が払われた。金が集まったので、その方向の技術が伸びた。伸びた技術が、まったく別の場所で使われた。
技術が先に構想されて、あとから金がついたのではない。欲が先にあって、金が集まって、その周りで技術が育っている。国の計画でも、研究者の構想でもない。
そして、行き先は誰も選んでいない。だしを取りたかった人は、半導体の絶縁膜のために金を払ったわけではない。ゲームがしたかった人は、人工知能のために払ったわけではない。どちらも、払った本人にとっては、うまいものと、遊びである。
何ができるようになるかは、事後にしか分からない。
ちゃんと欲しがる
ここから言えるのは、たぶん一つだけだ。
ちゃんと欲しがることが、何かができるようになることに繋がっている。少なくとも、歴史を見る限りはそう見える。