断る側が、決める側になる
強い、とは何のことか。
押し通せることだと思われている。値切れる、条件を飲ませられる、相手を動かせる。だが、実際に強い側を見ていると、そうではない気がする。強いのは、断れる側である。
買わない方がいい、と自分で書く
オーケーという食品スーパーがある。一九六七年にできて、いまは関東と、関西の一部で店を出している。
この店の売り場には、オネストカードというものが貼ってある。正直カード、という意味である。商品のすぐ横に、その商品の良くないところが書いてある。
会社が自分で出している例が、これである。
只今販売しておりますグレープフルーツは、南アフリカ産で酸味が強い品種です。フロリダ産の美味しいグレープフルーツは12月に入荷予定です。
長雨の影響で、レタスの品質が普段に比べ悪く、値段も高騰しています。暫くの間、他の商品で代替されることをお薦めします。
いま棚に置いてあるものを買うな、と店が書いている。しかも、いつなら良いものが来るかまで教えている。買う理由を、店の側から潰している。
始めた理由も、会社が説明している。近所の八百屋が「この野菜は今日はあんまり良くないから他のにした方がいいよ」と言ってくれる、あれをスーパーでもやりたかった、という話である。
一枚ごとに見れば、これは売り逃しである。今日のレタスは売れなくなる。
断ったのは目先の売上で、手に入ったのは、すすめたときに信じてもらえる状態である。
待たせると決めた
一九七二年、証券会社を辞めた櫻田慧という人が、東京の成増の駅前に、二・八坪の実験店を出した。同じ年に一号店を開く。モスバーガーである。
始めから、作り置きをしないと決めていた。注文を受けてから作る。アフターオーダー方式、と呼んでいる。
ファストフードで、これは奇妙である。速さがそのまま商品なのに、その速さを自分から手放している。客は待つ。しかも、手がかかる分だけ高くなる。
どれくらい高かったか。一九九五年、マクドナルドのハンバーガーが八十円だったとき、モスバーガーは二百十円だった。二〇〇〇年、マクドナルドが平日六十五円まで下げても、モスは二百十円のままである。三倍以上の差がついた。二〇〇二年にはマクドナルドが六十二円をつけ、二〇〇五年には百円マックが始まる。
モスは、この競争に入らなかった。
そして、実際に痛んだ。店舗数は二〇〇〇年度をピークに減り続けて、千五百を超えていたのが千二百ほどまで落ちる。三百店が消えている。
それでも、作り置きはしなかった。
断ったのは速さと安さで、手に入ったのは、値段を自分で決められる状態である。
粗利を削ると決めた
二〇〇六年十一月、エヌビディアは GeForce 8800 という部品を出した。画面に絵を描くための半導体で、当時、性能で他を引き離していた。会社が儲かっていたのは、この速さのおかげである。
同じ年、CUDA という仕組みを一緒に公開した。GPU を、絵を描く以外の計算にも使えるようにするものである。
これを使えるようにするには、チップの側に回路を足さなければならない。面積が増えて、原価が上がる。しかも、買っているのはゲームをする人たちで、その人たちには使いどころのない機能である。
普通なら、高い方の製品にだけ載せる。あるいは、載せない。会社が勝っている理由は絵を描く速さの方なのだから、そこに寄せた方が儲かる。
そうしなかった。全部のチップに載せた。安い方にも載せた。創業者はのちにこう言っている。
チップに莫大なコストを足した。CUDA の客はほとんどいなかったが、それでも全部のチップを CUDA 対応にした。粗利率を見返してみるといい。最初から悪くて、そこからもっと悪くなった
数字が残っている。CUDA に対応した最初の設計には、四年と四億七千五百万ドルがかかった。当時の研究開発費の、およそ三分の一である。粗利率は二〇〇七年の四五パーセントから、二〇一〇年には三五パーセントまで落ちた。株主は文句を言い、離れた人もいた。
二〇〇六年から二〇一二年ごろまで、商売としてはほとんど何も起きていない。六年、ただの持ち出しである。
いまもゲーム用のカードには CUDA が載っている。ゲームだけをする人には、やはり使いどころのない機能である。
断ったのは粗利で、手に入ったのは、どのカードでも計算ができるという状態である。
順位を売らないと決めた
一九九八年、スタンフォードの大学院生だったセルゲイ・ブリンとラリー・ペイジが、検索エンジンについての論文を出した。いまのグーグルのもとになったものである。
論文の最後に、付録Aという短い節がついている。題は「広告と、混ざった動機」。
広告で運営される検索エンジンは、本質的に、広告主の側に偏り、利用者の必要から離れていくと我々は考える
例まで挙げている。当時、彼らの試作機で「携帯電話」を引くと、運転中の携帯電話の危険を扱った研究が上位に出た。他から多くリンクされていたからである。そのうえで書く。携帯電話の広告で金を受け取っている検索エンジンは、この結果を広告主に説明できないだろう、と。
これから作るものが、金を受け取った瞬間に壊れる。それを、作る前に自分で書いた。
その後どうなったか。二〇二四年のアルファベットの売上は三千五百億ドルで、その七割以上が広告である。広告を断ってはいない。断ったのは、順位そのものを売ることだけだった。金を払えば広告の枠には入れるが、検索結果の順番は動かない。
断ったのは順位の販売で、手に入ったのは、順位が信じられるという状態である。
断れないと、値段も自由もない
四つとも、同じ順番で起きている。先に断る対象を決めて、決めたあとは、相手が誰であっても例外を作らない。
そして、順番が逆に見えている。強くなったから断れるようになったのではない。オーケーは街の食品スーパーで、モスバーガーは値下げに乗らないあいだに三百店を失い、一九九八年のグーグルは大学院生が二人でやっていた。エヌビディアだけは断った時点で勝っているが、勝っていた理由は絵を描く速さの方で、削った粗利はそれとは何の関係もないものに消えていった。どれも、断った時点では、それが得になる理由が無い。
値段を付けるというのは、断ることである。この額でなければ売らない、と言うことだからだ。だから、断れない売り手には値段が付けられない。言い値で買われて、それで終わる。値上げが効くかどうかは、断れるかどうかと同じ問題である。
自由も同じ形をしている。断れないなら、その相手に従っているということだ。モスがマクドナルドの値段に合わせなかったのは、合わせなくてよかったからである。グーグルの順位が金で動かないのは、広告主に従っていないということである。断れる範囲が、そのまま自由の範囲になる。
では、なぜ断れるのか。自分のものさしを持っているからである。人とは違う、絶対のものさしを。オーケーが測っていたのは正直かどうかで、売上ではない。モスは出来立てかどうか、エヌビディアは計算ができるかどうか、グーグルは順位が正しいかどうかである。速さも、粗利も、収益も、そのものさしには載っていない。