埋もれた才能は、ほとんど無い
良いものが埋もれている、と言われることがある。
才能があるのに世に出ていない。優れた仕事なのに誰も知らない。惜しい、という話になる。だが、埋もれたとされる例を実際に追っていくと、二つのどちらかに行き着いてしまう気がする。
二十年抱え込んで、出てきた
チャールズ・ダーウィンは、一八三〇年代の終わりには自然選択の考えに行き着いていた。一八四二年に短い草稿を書き、一八四四年にはかなり長い論文の形にしている。
そして、出さなかった。妻に宛てて、自分が死んだらこれを出してくれ、という趣旨の指示まで書いている。十四年、引き出しに入れたままにした。
一八五八年六月十八日、一通の手紙が届く。差出人はアルフレッド・ラッセル・ウォレス。三十五歳、標本を採って売りながらマレー諸島を回っていた男で、ダーウィンは会ったこともなかった。テルナテという島から送られてきたその原稿には、自然選択が書いてあった。
同じ年の七月一日、ロンドンのリンネ協会で、二人の文章が同じ晩に読み上げられた。まずダーウィンの一八四四年の論文と、翌年アメリカの植物学者に宛てた手紙。そのあとに、ウォレスの原稿。ダーウィンが先に着いていたことを示したうえで、ウォレスが独立に着いたことも認める、という形である。翌年、『種の起源』が出た。
こういう例は一つではない。一九二二年、コロンビア大学のウィリアム・オグバーンとドロシー・トマスが、「発明は必然か」という論文を出している。一四二〇年から一九〇一年までに、少なくとも二人が別々に同じところへ着いた事例を、百四十八件並べたものである。微積分はニュートンが一六七一年、ライプニッツが一六七六年。電話はベルとグレイが一八七六年二月十四日、同じ日に同じ役所へ書類を出している。
彼らの結論は、条件が三つ揃えば発見は避けられない、というものだった。問題がはっきりしていること。それを解きたいと思う人がいること。解くための道具立てが世の中にあること。
一人が二十年黙っていても、地球の反対側から同じものが出てきた。
二十四年、止められていた
一九七三年、イギリスの政府通信本部という組織で、クリフォード・コックスという数学者が、ある仕組みを見つけた。
上司のジェイムズ・エリスが、数年前から「秘密でない暗号化」という考えを持っていた。鍵を渡さずに、暗号のやりとりができないか、という話である。コックスはそれを聞いて家に帰り、実装の形を見つけて戻ってきた。書き上げるのに三十分ほどだったという。翌年には、マルコム・ウィリアムソンが鍵の受け渡しの方式を見つけた。
いま公開鍵暗号と呼ばれているもののことである。三十分の方は、のちにRSAと呼ばれることになる仕組みとほぼ同じだった。
これは、公開されなかった。情報機関の中の話だからである。
三年から四年おくれて、アメリカで同じところに着いた人たちがいる。一九七六年にディフィーとヘルマン、一九七七年にリベストとシャミアとエイドルマン。彼らは論文を出し、そちらが世界中で使われるものになった。いま銀行や通信で動いているのは、そちらの系譜である。
イギリス側の話が公になったのは、一九九七年十二月十八日。二十四年後である。一九八七年に公表する計画があったが、別の暴露本の騒ぎで十年延ばされた。エリスはその一ヶ月前、一九九七年の十一月に死んでいる。自分が先に着いていたことを、世間が知らないまま死んだ。
二十四年止めておくのに、国家の情報機関が要った。
埋もれている、という状態は長続きしない
二つを並べると、埋もれている時間の長さが何で決まるかが見える。
ダーウィンは個人である。二十年黙っていたが、止められなかった。同じところに着いた人間が、会ったこともない場所から現れた。
政府通信本部は国家である。二十四年止めた。実際に止まった。
差は、隠している側の力の大きさでしかない。価値のあるものが埋もれ続けるには、それを押さえつける力が要る。そして、それだけの力を持っているのは国家くらいである。
だから、一人が抱え込んでいるだけで止まっているものは、押さえつけられていない。誰も同じ場所へ来ないから、止まっているだけである。オグバーンとトマスの言い方に戻れば、問題がはっきりしていないか、解きたい人がいないか、道具立てがまだ無いかのどれかだ。
面白くて価値のあることは、勝手に広まるか、そもそも公開してはいけないか、のどちらかになる。そのあいだの状態は、あまり長くは続かない。
「面白いことをやっているのに、それが外に出ていない」と言われるとき、たいていは、面白いことをやっていない。