優れても、総量は増えない
優れている、というのは何のことか。
クラスで一番足が速い、というのは優れている、である。自転車に乗れる、というのはできる、である。前者はクラスがないと成り立たないが、後者は一人でも成り立つ。よく一緒にされるが、この二つは別の量である。
全員が速くなっても、金メダルは一つ
一九一二年、ストックホルム五輪の予選で、アメリカのドナルド・リッピンコットが百メートルを十秒六で走った。国際陸連が公認した最初の世界記録である。
一九六八年、メキシコシティでジム・ハインズが九秒九五を出し、十秒の壁が破れた。二〇〇九年、ウサイン・ボルトが九秒五八を出した。いまもこれが世界記録である。
百年ほどで、一秒縮んだ。走り方の研究があり、練習の方法が変わり、靴とトラックの材質が変わり、栄養と医療が変わった。人類は実際に速くなっている。十秒を切ったのは一九六八年のハインズが最初だが、いまでは百人以上が切っている。
そのあいだ、決勝に並ぶのは八人のままである。金メダルは一つのままである。
一九一二年に一位だったのは一人で、二〇〇九年に一位だったのも一人だった。何人が十秒を切れるようになっても、その数は変わらない。
全員が速くなっても、順位は一つも増えなかった。
劣っている側と、取引する理由がある
一八一七年、デヴィッド・リカードが『経済学および課税の原理』の第七章で、四つの数字を出した。
イギリスで布を作るには、百人が一年働く。同じ国でワインを作ろうとすると、百二十人が要る。ポルトガルでは、布に九十人、ワインに八十人である。
ポルトガルは両方で勝っている。布でもワインでも、少ない人数で作れる。だとすれば、ポルトガルには何も買う理由が無さそうに見える。全部自分で作った方が安いからである。
リカードが示したのは、そうではないということだった。ポルトガルがワインだけを作り、布はイギリスから買う。すると、両方の国が得をする。ポルトガルの人手はワインに寄り、イギリスの人手は布に寄って、二国を合わせた生産量が増えるからである。
この計算で目を引くのは、どちらが優れているか、という量が一度も使われていないことだ。使われているのは、その国が何にどれだけの人手をかけるか、という量だけである。だから、全部で負けている側にも、取引する相手としての場所が残る。
劣っている側と取引する理由があった。優劣は、取引の条件ではない。
増える量と、増えない量
二つは、量の種類が違う。
優劣は比較の量である。誰かが上がれば、誰かが下がる。だから、全員が良くなっても総量は変わらない。百年かけて一秒速くなっても、一位は一人のままだった。
できるは絶対の量である。一人が増やしても、誰も減らない。しかも増えた分は交換できる。リカードの計算に入っていたのは、こちらの量だった。
ここから言えることは一つだけだ。順位を上げても、世の中にあるものは増えない。入れ替わるだけである。増やしたいなら、できることの方を増やすしかない。
できることには価値があるが、人より優れることには価値がない。